Interview 01

vol.1 「 日本ではじめてランボルギーニを車検した職人 」

山田 四朗 | インストラクター

Profile

トヨタ自動車を経て八幡自動車商会に入社。その後40年以上整備士として勤務。
5年前までは整備士として勤務するも、その後教育係として現在に至る。
日本で初めてランボルギーニの車検を通した実績を持ち、自分の知識を後世に残したいと整備士教育へ力を入れている。
目標として全社員整備士免許所得を目指す。

“ 自動車技術はどんどん進化していて、そういう技術を若い社員に伝えいていくにはに教えるのに自分はその何倍も勉強しないといけない。その時間が楽しいんです。 ”

— 自動車の仕事をはじめたきっかけは?

田舎の深い所で生まれ育ったので、とにかく周りに情報が少なかったんです。ラジオもなければテレビもなかったので。そんな中で周りには船員の仕事をしている人が多かったんです。船員さん達が盆や正月に制服姿で故郷に戻ってくるのがカッコよくて、それで自分も船乗りを目指しました。高校に入るときには船員の学校を受験しようと願書を取り寄せたのですが、親に見つかってしまって大反対されました。そこで船乗りの夢を断念したのを覚えています。
そこからじゃあ海がダメなら陸だろうと考えて(笑)、その頃の自動車はトラックやバスが主流で、自家用車は一切なかったんです。そんな中でも子供の頃から動くものに興味があって、自動車の整備学校を見つけて、トヨタが運営する自動車専門学校を受験し合格しました。そこからは毎日スパルタ教育で自動車を学び、その魅力にのめりこみました。本当にこの道に進んでよかったと今では思いますね。

— その中でなぜ整備士を志されましたか?

この整備士の仕事が格別好きではじめたわけではなく、やってるうちに好きになりましたね。自動車整備の仕事は本当に奥が深いです。昔は知らないことを知ることがとにかく楽しくて、勉強することも好きだったので、若い頃に整備士の資格は全て取得しました。ただ常に自動車技術はどんどん進化していて、そういう技術を若い人に教えるのに自分はその何倍も勉強しないといけない。その時間が楽しいんです。そういう意味ではこの仕事が天職だと思います。

夜の工場にて 山形県酒田市 八幡修理工場

“ やはり外国車の整備は難しく、例えばサイドブレーキの制動力がなかなかあがらず、日本の基準値を満たすのに一番苦労したことを覚えています。 ”

— 思い出に残っていることはありますか?

やはりランボルギーニの思い出は忘れられません。あの車は平行輸入車で、個人の依頼人が日本のナンバーを取得するための車検でした。その当時から日本には厳しい車検制度が整えられていましたが、そこまで厳しく整備されているのは日本だけで、この時の車はドイツで使われていたのですが、まず全ての書類がドイツ語で書かれており全く読み取れず、いつ頃誰により作られたのかがわからない状況でした。そういう状況ではやはり東京でナンバーを取得することができず、そのランボルギーニのナンバーをどうにか取得したいという依頼人が、困り果てている時に八幡自動車に来られて、私が車検することになったんです。
そこから車検に臨んだのですが、やはりとても手強い車でした。この車は中古車で、これから車検をするとなると、日本の最新の基準での車検に耐えうる車にしなければいけないのです。ましてはドイツ語の書類も読めずじまいで、医者の知り合いに掛け合っても読めず、結局ドイツ大使館に書類を送り、やっとの思いで解読できました。そうして整備を進めたのですが、やはり外国車の整備は難しく、例えばサイドブレーキの制動力がなかなかあがらず、日本の基準値を満たすのに一番苦労したことを覚えています。そのような格闘を続け、ナンバー取得するのに国の検査場に数十回通い、どうにか山形で車検を通過しました。一台通過できると簡単で、そこから3台続けて車検を通しました。その頃は車を整備していると、近くの小学校から遠足でランボルギーニを見に来たりもしていました。その学生に自分も得意げに紹介したりして。その当時で2000万円くらいしましたからね。庄内でランボルギーニを整備して実走したのは私くらいでしょうね。

整然と並べられた種類豊富な整備用具 山形県酒田市 酒田店

“ 最新のコンピューターを使用しても車の機械的な故障は見つけることができません。今でも、見て、聞いて、触って、五感で判断します。 ”

— 仕事において、大切にされていることはなんですか?

まず整備の仕事をする上で、基本的な車の問題となる故障は、すべてコンピューターが拾い上げてくれる時代です。ですので私たちも車に搭載されているコンピューターを通して、まず車を診断します。ただ最新のコンピューターを使用して機械的な故障は見つけることができません。そういうものは今でも、見て、聞いて、触って、五感で判断します。専門学校でいくら勉強して資格を取得しても、技術がすぐに身につくわけではないのです。何十年やっても、まだまだ一人前にはならない。常に車は進化してくるから、私たちも常に勉強してついていかなければいけません。そういう意味で、日々新たなことを知り、学び続ける事が一つ大切なことです。

次に「心構え」が大切です。自動車でもなんでも同じですが、形があるものには魂が宿るんです。毎日色々な状態の車が八幡自動車には運ばれてきますが、メンテナンスの良しものや悪いものまで、一つずつ人間のように語りかけて面倒をみることが、良い仕事に繋がると考えています。たかが物ではありますが、しっかりと自分が車と向き合う気持ちを整えて、親身に面倒をみる心構えで臨むことこそが、私の大切にしている信念です。

現在は整備士としてではなく、教育係として現役で車と向かい合う 山形県酒田市 酒田店
Interview 2

Interview 02

vol.2 「 海を渡る希望 」

スバス ・ シュレスタ | 17年度新卒採用

Profile

17年度新卒採用で自動車整備士として入社。ネパール出身。
少年時代に見たランボルギーニや映画「The Fast and the Furious」をきっかけに整備士を目指す。

“ 将来は、エンジンの音を聞いただけで、車のどの部分に問題があるのか判断できるような整備士になることが僕の夢です。 ”

— はじめて車と出会ったのはいつですか? その時の思い出を教えてください。

初めて車と出会ったのは覚えていませんが、10年前に偶然テレビで見た、ランボルギーニがとても印象に残っています。
それは、ランボルギーニを紹介するテレビ番組でした。
その時に見たランボルギーニのスピードやボディの形状、エンジンにとても魅力を感じました。

I still remember when I saw Lamborghini 10 years ago.
I saw a TV show by chance, and the narrator introduced the performance of Lamborghini.
I was attracted by the speed, streamlined body, and especially its engine.

— 整備士を志した理由はなんですか?

映画「The Fast and the Furious」の中で主人公が自分の車をメンテナンスするシーンを見て、車を運転するよりも整備をすることがとてもかっこいいことだと思えました。車と携わる仕事はたくさんありますが、車の構造を理解して、安全かつ最大限のパフォーマンスを実演する仕事―さらにはどんな車にも対応出来る整備士は理想の仕事です。
将来は、エンジンの音を聞いただけで、車のどの部分に問題があるのか判断できるような整備士になることが僕の夢です。

When I watched the movie “The Fast and the Furious”, in which the protagonist maintenance his car by himself I was impressed with to be mechanic rather than driving a car.
There are many options to work in car industry, however, mechanic is ideal job who understand every types of cars and the whole structure, and realizes the safety and car’s maximum performance.
In the future, I want to be a mechanic who can tell the problem just by hearing the voice of the engine.

“船で山形の景色を見ながら車との出会いを話すスバスさん” 山形県 酒田港

“ これから学ぶことを生かして、いつかはネパールの産業にも貢献したいです。でも今は自分のいる環境の中でベストを尽くすだけです ”

— 日本で働くということについての希望、または不安があれば教えてください。

自分の生まれ育った国の外で働くということには不安はあります。
それでも、八幡自動車の家族のような雰囲気の中で働けることにはとても安心を感じます。八幡自動車は自動車の販売から整備まで、お客様にサービスをする人から、車をメンテナンスする人がいる全員が一丸となるとても素晴らしいチームワークを持っているからです。また、長い歴史の中で培った経験とスキルを先輩が後輩に教えていくという環境にあります。

I am a little bit nervous to work outside the country where I was born and grew up.
However, I feel comfortable to work at Yawata Jidousha where the all members are like family.
Yawata’s business spans from selling car, serving customers, and maintenance of cars. So they have strong teamwork. Also, Yawata has long history, and the older teach what they have learned to the younger.

一面の雪景色 山形県 酒田市

— 就職してからの展望、思い描く未来などがあれば教えてください。

数年間、日本で働いたのちに、八幡自動車の海外支社で働ければと考えています。
世界中にある整備会社の中でも、日本の技術はトップクラスにあると思います。これから学ぶことを生かして、いつかはネパールの産業にも貢献したいです。でも今は自分のいる環境の中でベストを尽くすだけです。
こうした機会を得られたことはとてもラッキーだと感じていて、会社にも大変感謝しています。

After I work in Japan for a couple years, I would like to work at the Yawata’s overseas branch.
I think Japanese mechanic is one of the best in the world. In the future, I want to contribute to car industry in Nepalese. But what I’m gonna do is just do my best in my environment.
I feel so lucky to be able to work at Yawata Jidosha and thankful to Yawata for giving me this wonderful chance.

自然に囲まれた山形県 山形県 酒田市
Interview 3

Interview 03

vol.3 「 受け継がれる意志 」

高橋 夏季 | 総務部 / 川俣 聖子 | 総務部

Profile

高橋 夏季
一度退職を決意するも、現在では理解者として悩んでいるスタッフに手を差し伸べていきたいと語る。
素直さを大切に日々の向上を目指している。

川俣 聖子
高橋さんの入社時のメンター。
現在でもお互いをサポートしあう良きパートナーとして、八幡自動車商会の成長を目指す。

周りに少しでも良いことがあれば、それに気付いて褒めてあげたり認めてあげることで、それが回り回って自分の日々の喜びや成長に繋がってくると思います。

— 2人の一番思い出に残っているシーンを教えてください。

高橋 : 私がこれまでの仕事の中で最も印象に残っていることは、2年前に仕事を辞めたいと考えた時のことです。その当時の自分は、今考えると周りが見えずとんでもないことを言っていたと思うのですが、どんなに引き止められても自分の意思は揺らがないと思っていました。
その時、急いで駆けつけてくれた川俣さんと喫茶店で話しましたよね。 気持ちは固かったはずだったのですが、いざ川俣さんに言いたいことを全部話すと安心してしまって、どんどん気持ちが整理されて。全て理解して聞いてくれる川俣さんとの時間で、私の時考えが180度変わりました。

川俣 : 高橋さんの退職の話を社長から聞いて、とにかく慌てて会いに行ったのを私も覚えています。引き止めたいというよりは話が聞きたいという思いが強く、山形へ向けて急いで雪山を越えましたね。
直接話しを聞いて、理解してあげたかったんです。やはり酒田と山形で少し離れている分、毎日顔をあわせることが出来ないですし、コミュニケーションがなかなか取れてなくて、ここまで悩んで苦しんでいる姿を見て、本当に申し訳なく思いました。その分すべて聞いて理解して受け止めようと話しを聞きました。

高橋 : 本当に恥ずかしい思い出なんですが、そこからとてもモチベーションが安定しました。今では落ち込んでいるスタッフの気持ちもよく理解できますし、何とか力になってあげたくなります。どんな仕事に就いてもピンチはありますが、支えて応援してくれる人がいることはとてもありがたいことですし、こういう環境に心から感謝しています。

川俣 : 私も新卒で入社したので悩む気持ちもわかるし、今でも悩むこともあります。みんなそうだから、ちょっとしたことで揺れることもあるけど、意志を持って堪えてもらうのが大事で、良いことも悪いことも、ひとつずつクリアして成長していく過程を周りが認めてあげて、しっかり褒めてあげられるといいですよね。

旧本社にて 山形県旧八幡町

— 日頃の業務の中で大切にしていることや、モチベーションにしていることはありますか?

高橋 : 私は人に喜んでもらうことが好きなんです。とはいっても自分が褒められたり、成長を感じられたりすることもとても好きで、だからこそ周りに少しでも良いことがあれば、それに気付いて褒めてあげたり認めてあげることで、それが回り回って自分の日々の喜びや成長に繋がってくると思います。

川俣 : どんな時も、毎日笑顔でいること。今までも大変な時もありましたが、信頼できる仲間がいるから私時は大丈夫。たくさんの方に支えてもらい、本当に感謝しています。

高橋 : 私はまだ自分のパフォーマンスに波があると感じることがあるのですが、それを減らしていくには、まず自分の容量を広げないといけないですし、今が鍛え時だなと感じています。幸いにも去年より成長している自分を感じられていますし、このまま日々成長することをモチベーションにして、自分のパフォーマンスを安定させていきたいです。

当時の思い出を話す高橋さん(左)と川俣さん(右) 対談インタビューにて

相談しやすい関係性のチームであることも強みですね。一人一人、そしてチームでしっかりと向き合い、コミュニケーションをとる時間を大切にしています。

— 八幡自動車商会の強みはどのようなものでしょうか?

川俣 : ひとつは女性の働きやすさだと思います。女性の労働環境を良くすることに力を入れています。とはいっても制度を整えるだけではなくて、一人一人が心から周りの仲間を思いやり働くことが大切ですね。

高橋 : 社員同士のコミュニケーションが強みだと思いますね。仕事だけではなく、プライベートでも先輩後輩関係なく深く繋がっていますし、吸収する気持ちがあれば、人間性を高められるような経験ができると思います。私もそのコミュニケーションの中で、社会人として誠実な姿勢を学んでいますし、このコミュニケーションが会社の強みだと思います。私はどちらかというと自分に自信がなかった方ですが、この5年間の経験を通して、社会人としての姿勢に自信を持てていますし、本当に恵まれていると感じています。

川俣 : 相談しやすい関係性のチームであることも強みですね。一人一人と、そしてチームでコミュニケーションをとる機会も作っています。そうして築き上げられたチームだからこそ、協力し、発揮できるパフォーマンスはあると思います。

— 今後の目標をお聞かせください。

川俣 : 先日従業員の満足度を図る機会があり、そこで現状の従業員の声を聞くことが出来ました。とても満足度は高いのですが、まだまだ改善すべきことが見えてきたので、その改善に取り組み、全従業員が毎日楽しく、やりがいをもって仕事ができ、それがお客様の満足度に繋がっていくようなチームを作りたいと思います。働く従業員の子供や孫にも愛してもらえて、自分もこの会社で働きたい!と思われる会社にしたいです。だからこそ、みんなが大家族として、楽しいことも苦しいことも乗り越えていけるチームを目指していきたいです。

高橋 : 私も同じ夢ですね。八幡自動車で働いていることに誇りを持ってもらえるようにならないといけないですし、みんな家族として人生が豊かになったなと感じてもらえる会社にしたいです。会社だけのつながりじゃなくて、従業員の家族も含めてみんな家族として、次の世代へと想いをつないでいきたいと思います。

旧本社にて 山形県八幡市

— 二人にとって、お互いはどういう存在ですか?

川俣 : 新卒採用の時からメンターとして一緒に仕事をさせてもらっているのが高橋さんで、本当に人として素直で素晴らしい方で、なんでも聞いてあげたいという存在です。2年前に腹を割って話してくれたときから、なんでも言い合える存在としてとても大事な人ですし、同じ目線でサポートしあって、会社のため、みんなのために働く良いパートナーですね。

高橋 : 一言ではまとめられないですが、この人になりたいと思う目標の人です。口癖のように謙虚な姿勢が表れていて、感謝の気持ちを忘れない方です。毎日観察していると本当に勉強させて頂くことばかりで、ひとつずつ盗みながら、自分も成長するのが楽しくて、ずっと目標にしています。

— 今後就職活動される方へ向けてメッセージをお願いします。

川俣 : 就職先を決めることは自分の人生を変えるとても重要でワクワクする選択のチャンスです。私はこの会社に入社し、業務以上に考え方、利他の心、与えることの重要さを教えていただきました。感謝の気持ちを大事にして、会社のフィロソフィーでもある「謙虚と素直」を大切に、仕事をすきになり、与えることができる人が成長できる人だと思います。自分で天井を決めずに、突き進めるチームがここにはあるので、是非可能性にチャレンジして欲しいですね。

高橋 : 働くうえで「素直さ」が何より大事だと思います。何事も吸収して成長できる人が、このチームでは求められますし、業界は色々ありますが、この会社で働きたい、この人と働きたいという気持ちで働けるのがこの会社の素晴らしいところだと思います。

自然の広がる八幡市 山形県八幡市
Interview 4

Interview 04

vol.4 「八幡自動車商会の未来像」

池田 等 | 代表取締役社長 / 菅野 | セールス・営業事業部

Profile

池田 等 (代表取締役社長)
八幡自動車商会、代表取締役社長。株式会社 日商岩井(現双日)入社/エネルギー化学プラント中東担当を経て、株式会社 八幡自動車商会入社。株式会社船井総合研究所より最優秀新チャネル開発賞受賞。

菅野 (セールス・営業事業部)
セールス・営業事業部。
3代目社長を夢にセールス・営業事業部の若手エースとして、「一人はみんなのために」の目標のもと自身と八幡自動車商会の成長を目指す。

リーダーになるということは自分の身を削るような場面もあり、とても過酷ではありますが、それでもやりがいや、将来的に多くの人たちに幸せを提供できる素晴らしい仕事でもあります。

— 2人の一番思い出に残っているシーンを教えてください。

菅野 : 入社してから色々な出来事を経験してきましたが、それでも記憶の中で一番残っているのは、学生の時に池田社長と面談をして入社を決めた時のことです。しかも、その場所というのがマクドナルドだったんです (笑)

池田 : 今は違いますが、あの時期はマクドナルド以外に場所がなかった時期でした……。

菅野 : その時に社長が僕の目をずっと一直線に見ながら話していたんですが、僕も学生でありながら負けず嫌いだったので、社長の目をじっと見返し続けていました。当時は内定を他にも2社から貰っていて自分の進路に悩んでいましたが、日本一の会社を目指しているという社長の熱い気持ちにすごく惹かれ、ほかの会社とは違うという印象を受けました。

池田 : 菅野さんを面接の際に感じた素直で謙虚な人柄と誠実な眼差しを今でも覚えています。そうした彼の姿勢に魅力を感じて「うちの会社に来て欲しい」と伝えました。

菅野 : 僕も二つ返事で「それではよろしくお願いします」と返して入社を決意しました。

池田 : その後、内定者懇親会などで時間を共にする機会があったのですが、自分だけのことばかではなく、本当に仲間を大事にしているという印象を受けました。私たちの会社では社員1人ひとりが家族のように思い合えるような「大家族主義」を目指しているのですが、彼は私たちの想いとすごく共鳴しているなと確信しましたね。

入社時の思い出を話す菅野さん 対談インタビューにて

— 日頃の業務の中で大事にされていることは何ですか?

菅野 : チーム全体を見て行動をすること、仲間で働くという意識を大切にしています。 入社2年目の頃にコバック酒田のフロントを任されてから、自分の目標を実現するためにがむしゃらに試行錯誤を繰り返していた時期があったのですが、ある日、部下から「あの人にはついていけない」という声が上がりとても反省しました。
こうした経験から、自分一人では何もできないんだと気が付き、自分の下で働いてくれる部下をどうしたら幸せにできるか、全員で同じ目標に向かって協力するにはどうしたら良いのかということを意識するようになりました。

池田 : 良いリーダーというのは、自分の能力は勿論、他の人たちのモチベーションを最大限引き出せるような環境作りと、皆が幸せと思えるようなベクトルへと導けるかが大切な条件だと思います。周囲の人を幸せにすることで、それが結果的に自分自身が一番幸せにもなれます。
リーダーになるということは自分の身を削るような場面もあり、とても過酷ではありますが、それでもやりがいや、将来的に多くの人たちに幸せを提供できる素晴らしい仕事でもあります。

— 八幡自動車商会の一番の強さはどのようなものでしょうか?

菅野 : 僕がこの会社で一番の強みだと思うのは、自分のためではなく、他の人のために尽くす「利他」の気持ちが浸透しているところだと思います。例えば、月末の忙しい時期などには仕事が終わっていない人のところに自然と人が集まって、作業する光景は社内では頻繁にあり、自分が入社してまもない頃はそれが普通だと思っていました。だけど、他の会社に研修へ行く機会などが増えると実はとても特別なことなんだと気がつくようになりました。

池田 : 私は社員ひとりひとりが優しさに満ち溢れているところだと思います。商人というのは少なからずがつがつしていて、抜け目のない職業で、そうした人たちの集まる企業と比較すると、私たちは押しの弱さから短略的な結果では弱そうに見えるかもしれません。
しかしながら、愚直に地道に周りの人を思いやりながら仕事を続けることによって、5年後、10年後と長期的に見ると他とは違う素晴らしい会社に成長していくのではと信じています。私たちはどうしても瞬間的な結果や能力に目が行きがちですが、人生や職業というのは何十年単位の長いスパンの中で勝負がつく世界なので、やはり良い人が最終的には残るのではないのかなと思います。

八幡自動車商会のこれからを話す池田社長 対談インタビューにて

消費の面だけでなく、教育や整備士の派遣も含めて、夢と誇りに溢れた、私たちの会社にしかできない付加価値の高い、どこの地域の人たちにも必要とされる会社にしていきたいと思います。

— 二人の目標をお聞かせください。

菅野 : 僕は今年で23歳になりますが、15年後にはこの会社の3代目の社長になり、世界5大陸に100店舗出す会社にまで成長させたいです。
例え規模が大きくなるにつれて中心メンバーが離れ離れになっても、仲間の数がこれまで以上に増えても、1人1人が今のこの会社の良さを忘れずに、「1人がみんなのために」という思いを守って、世界一の素敵な会社を作りたいというのが僕の夢です。

池田 : 私は3つ目標があります。
1つめは日本一、または世界一の夢と誇りのある自動車販売整備業というのを目指していきたいです。整備業というのはどうしても軽んじられる傾向にありますが、私は業界全体の地位向上を私たちの会社が先頭に立っていきたいと思います。どこにも負けない待遇の実現と、高いクオリティーの整備業を世界中に展開することで、業界全体に夢と誇りを持ってもらうきっかけになりたいです。

2つ目に、地域の問題を解決していく、ソリューションを提供していく会社にしていきたいともいます。山形県は少子高齢化先進地域でありながらも、それを恵まれた環境に逆転することが可能な土地です。と言うのも、若い世代の人口が減って、高齢者の数が増える中で、今までとは違うビジネスモデルを生み出すチャンスだと思っています。

そして、3つめは、グローバル事業を推し進めていくことです。現在、日本国内には輸出入の市場が既にありますが、それを私たちの会社がさらに拡張していきます。来年度には貿易会社を作り、国内のお客様は勿論、国外の方々にも日本の高い技術力を提供していきたいです。また、消費の面だけでなく、教育や整備士の派遣も含めて、夢と誇りに溢れた、私たちの会社にしかできない付加価値の高い、どこの地域の人たちにも必要とされる会社にしていきたいと思います。

— 最後に八幡を志望する人へのメッセージ、そしてどんな人と働きたいかを教えてください。

菅野 : 自分では限界を決めず、どんなことにも楽しんで挑戦できるような人に入社してもらいたいと思います。 実は、僕を含めて、今働いているメンバーの中にも自動車にもともと興味のなかった人や、知識がほとんどなかった人も多いんです。それでも、働く中で自分の楽しめるポイントを発見しながら1つ1つ学べる環境が八幡自動車にはあります。 毎日をワクワクしながら過ごし、様々な領域にチャレンジをする楽しみを一緒に共有できるような人に是非入社してほしいと思います。

池田 : 繰り返しにはなりますが、これまでの自動車販売整備業という枠組みを抜け出し地域の問題に対するソリューションやグローバルな展開など、新しいビジネスのスキームを構築することが今後の課題となります。その一方で、地域に密着したサービスの質をどこまで高められるのかという目標もあります。こうした無限大とも思える可能性の中に飛び込むチャレンジ精神を持った人と一緒に是非働きたいと思っています。 そのためにも、日々の新しい情報や様々な変化に柔軟に対応出来る謙虚で素直な心を持ちつつも、ワクワクしながら挑戦できるような人、高い目標に突き進むことができる学生の方に入社してもらいたいと思います。

未来に向けて、今後の目標を真剣に話し合う菅野さん(左)と池田社長(右) 対談インタビューにて
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